ダビデログ

日々徒然

映画漬けの1日

今日はずっと映画を見ていた。

 

ビューティフル・マインド

きみに読む物語

プラダを着た悪魔

セックス・アンド・ザ・シティ

 

の4本。

 

  1. 面白い。途中辛くて悲しいけど、最後がハッピーでよかった。ツレがうつになりましてみたいな感じ?印象に残ったシーンは大学生が歩き方が少し変わった主人公を馬鹿にするシーン。ああいった身体的特徴を馬鹿にするのが欧米人の大学生の特徴かなーって感じ。欧米人のってくくるのはナンセンスかもしれないけど。これは留学中にも感じたことだけど、彼らは勉強ができるのかもしれないけど中身が非常に幼いよね。
  2. 夫が認知症の妻に自分たちの人生を読み聞かせている体で進んでいく設定は好き。あとは特にひねりもない純愛かな。個人的に、婚約相手がいるのに昔の恋人と会ってメチャックスしちゃうところが自身の貞操観念と相入れなかったので、うーむという感じ。まあ、それほどまでに好きだったというなら仕方ないのかな?まあ映画だからしゃあない。
  3. やり手ですごく偉そうなボスの下で主人公が成長していく物語。仕事に熱中するあまり恋人とうまくいかなくなるというのは実生活でも起こりうるシチュエーション。ボスも同じように実生活はうまくいっておらず成功の裏では色々あるんだなーという感じ。サイモンベイカーが出ていたのでテンションが上がった。
  4. 4人の女性が色々な問題をかかえながら奮闘していく物語。そういやこれまだ途中だったんだ。

 

そんな感じ。

 

07/02

何をしただろうか。

 

前日夏まが終わった後に友人と彼女と共に飲みへ、その後友人宅へ行き、少し飲んで寝る。

 

昼前に起き、ネプリーグを視聴。

 

その後ハンバーグを食べにステーキのどんへ。

 

低価格であのクオリティのご飯が食べれる日本は素晴らしいなと実感。

 

前日に行った飲み屋も食べ物のクオリティが高くよかった。

 

昼食を終え、友人と別れると、僕は彼女と共に寮へ向かう。電車から外を眺めると少しずつ街が変わっていることに気づく。6ヶ月間日本を離れ、何も変わってないと思ったが、どうやらそうでもないらしい。色々なものが確実に変わっている。明日はどんな変化を見つけることができるだろうか。

 

 

実は2日連続ズルをしている。どうも日記を書くことを忘れ1日を終えてしまう。リマインダーに入れておくか。

 

 

 

 

初ES

今日、初めてESなるものを書いてみました。

 

書いてみるとあっさり書けちゃって(まあ文字数が少ないのもあるんですが)、今まで書くのをためらっていた時間がもったいなかったなと。

 

明日〆切のやつがあるので、今日の晩書きます。こんな調子でいいのかなと思いますが、直前になってしまったのは仕方ない。これからは余裕を持って提出しよう、と反省を活かして頑張ります。

 

また今日はグループディスカッションセミナーに参加しました。グループディスカッションというものをまったくやったことがなく、特にインストラクションも与えられなかったため何をすればいいのかさっぱりだったのですが、実際にやってみてこんなものなのかな、という全体像はつかめたように思います。

 

グループディスカッションをやってみて分かった自分の現状。

 

・表情が硬い→表情豊かに

・発言が少ない→もっと積極的に参加

・的確なことがいくらか言えた→伸ばしていく

 

具体的な内容に関して、1問目の問題は、新幹線におけるコーヒーの売り上げを上げるという比較的想像のしやすいものでしたが、2問目のリニアモーターカーの料金設定というのは、未知のものなので検討がつかずなかなか論が進みませんでした。大体これぐらいかなあというのはみんなの意見が一致したのだけれど、その値段設定の根拠を見つけ説得力のあるものに持って行くことができませんでした。もっとターゲット設定をしっかりしておくべきでした。

 

しかしこれが実際にGDで出たということで、本番じゃなくてよかったなと思います。

 

行く前は少し億劫でしたが、やはりやってみないと分からないものは分からないので、こういった機会を大切にしていこうと思います。

 

なんか、真面目な内容になってしまった。

 

やることいっぱいいっぱい。

TOEIC

SPI

フェルミ推定

自己分析

業界研究企業研究 などなど

 

大変だー!

いつの間にか留学がおわってた

イギリスでの6ヶ月の留学を終え、今は梅田のスタバで茶をしばいている。

 

留学で英語は伸びたかと言われればそんなに伸びてないかもしれない。それでも日常的な生活で苦労することはなくなったし、調子が良ければ人と雑談もできるようにはなった(のかな)。

 

まあでも、英語を話すことに対する抵抗が前より少なくなったのはいい変化かな。大きな声で言わないと伝わらないから、俺はこう言っとるんやから分かれや!みたいなテンションで英語を使うことに慣れた。英語がコミュニケーションツールになった感じ。

 

さて、帰ってきた途端耳にする言葉といえば、就活就活就活就活。

自身の行動を逐一ネット上で報告してくれるみなさんのおかげで私には焦りだけが生まれている。

 

何かやらなければいけないと思いつつ、まだ一枚もエントリーシートを書いていない。一度書いてみないと先に進まないことは頭では理解しているが、行動に移すには至らない。

 

30日締め切りのエントリーシートがたくさんあるので、どれか1つでも出す。それをとりあえず目標にしよう。

 

そういえば、留学当初に掲げた毎日ブログを更新するという目標は3日目には潰えた。三日坊主という言葉を考えた人には、大きな拍手を送りたい。こういう飽きっぽいところが自分自身のダメなところである。1つのことをやり切るという精神がまったく身についていない。なので私はもう一度目標を掲げよう。

 

「毎日ブログ更新」

 

クオリティにはこだわらない。テーマも何もない。調子のいい日は長く書けばいいし、だるい時は「あ」だけでもいい。とにかく続けることが大切なんだと自分に言い聞かせる。

 

何かを休まず続けた経験がろくにない奴がクオリティにこだわるからいけないんだと思う。なので、なんでもいい。とにかく毎日更新。それだけ。習慣が身についてからクオリティにこだわればいい。

 

今日は分量が長いので調子がいい日だな。

 

英語を伸ばすには。

英語がペラペラになりたいという人は大勢いるけどその多くは途中で挫折する。

おそらく多くの人が挫折する理由は努力不足だと思われる。

 

日本語と英語は言語間の距離がかなり離れている言語同士であるからそんなに簡単にペラペラになれるわけがない。少しの努力でペラペラになれるんだったらその人は言語の才能があると思われる。

 

まず目標の設定の仕方が間違っている人が多い。

みんなペラペラになりたいと言うが、ペラペラになりたいと考えた時にその人が頭に浮かべているのはネイティブのような流暢さではないかと思う。

 

無理

 

留学してわかったことだが、多くのヨーロッパ人は英語に問題を抱えている(もちろん一般的な日本と比べるとはるかに上手いが)。もちろん上手い人も多くいる。自分でも気づくことができる英語のミスをしている人がたくさんいる。同じ印欧系言語を話す人たちでもネイティブと同等に話すことは難しいのに、全くかけ離れた言語を習得することに相当な努力が必要なことは自明である。

 

そもそも、なぜ英語を学びたいのか考えて見てほしい。ネイティブのように話すことは果たして必要不可欠であるのか。言語とはコミュニケーションのツールである。英語を身につけた後、それを使って何がしたいのか。それが明確に決まっているとモチベーションの維持にもつながる。

 

そこで英語をコミュニケーションのツールとして使えるようになるために、

 

  • 自分が現在いる位置を正しく理解しよう。目標が現実とあまりにもかけ離れていると、そこに達するためのエネルギーを保つことは非常に困難である。
  • 目標を変えよう。be動詞の現在形だけはミスなく完璧に使えるようになる等。

 

確かに最終目標はネイティブと同等に話すことでもいいかもしれないが、そこにたどり着くためにはまず実現可能な小さな目標が必要である。

 

また、英語を話す機会がないといっている人は甘えである。英語なんてどこでも話すことができる。コミュニケーションをしたいというのなら話は別だが(一人で行うことも不可能ではない)、まずろくに話せない状態でネイティブと話そうなんて子供がウルトラマンになりたいと言う事と同じようなものである。そういったコミュニケーションはリスニングの勉強にはなるかもしれないがスピーキングの練習として得られるものは少ない。それよりかは、家で同じ文章を100回でも200回でも繰り返している方が有意義だ。もちろんそれは根気のいるつまらない学習方法かもしれない。しかし勉強とは本来そういうものである。目標の達成は努力の積み重ねによってしか実らないものであると私は思う。

 

さて、なぜ英語が喋れないのか。それは頭の中に英語のストックがないからである。文法を知っているだけでは喋れない。文章が日本語を介さずに反射のように出てくるようにならないと自在に使いこなすことは難しい。"I know." や "I'm a student."といった文章を話すのに日本語は介在しないはずである。そういった反射のストックを貯めていくと、同じ文法や用法を使う文章も作れるようになる。文法や用法に時間を取られることがなくなり、より話す内容に目を向けることができる。時制や三人称などに多くの時間を取られているうちはペラペラ喋るなんて夢のまた夢である。

 

日本の英語教育の未発達さを嘆くのもいいが、それを嘆いても子供時代には戻れない。まずは自分の英語のできなさをしっかりと認めた上で、自分がやり遂げれそうなことからコツコツやっていく方が得策と思われる。

 

以上つらつらと書いてきたが、これはいわば、自分への戒めである。明らかにインプットが足りないにも関わらずアウトプットする機会を求めてはいるものの、理想が高過ぎるあまり現実とのギャップから無駄に自己嫌悪に陥っていた自分への。

 

自分を客観的に見ることが重要だということは最近人から言われて気づいたことだが、全くもってその通りである。自分自身では他人のことをよく見ているし、自分のことも正しく分析できていると思っていたが、それはただの思い込みであったと人から指摘されて初めて気づいた。この人は頭の良い人で、付き合うようになってから色々と気づかされることがある。良いところも悪いところも率直に言ってくれる、尊敬できる人である。