ダビデログ

日々徒然

英語を伸ばすには。

英語がペラペラになりたいという人は大勢いるけどその多くは途中で挫折する。

おそらく多くの人が挫折する理由は努力不足だと思われる。

 

日本語と英語は言語間の距離がかなり離れている言語同士であるからそんなに簡単にペラペラになれるわけがない。少しの努力でペラペラになれるんだったらその人は言語の才能があると思われる。

 

まず目標の設定の仕方が間違っている人が多い。

みんなペラペラになりたいと言うが、ペラペラになりたいと考えた時にその人が頭に浮かべているのはネイティブのような流暢さではないかと思う。

 

無理

 

留学してわかったことだが、多くのヨーロッパ人は英語に問題を抱えている(もちろん一般的な日本と比べるとはるかに上手いが)。もちろん上手い人も多くいる。自分でも気づくことができる英語のミスをしている人がたくさんいる。同じ印欧系言語を話す人たちでもネイティブと同等に話すことは難しいのに、全くかけ離れた言語を習得することに相当な努力が必要なことは自明である。

 

そもそも、なぜ英語を学びたいのか考えて見てほしい。ネイティブのように話すことは果たして必要不可欠であるのか。言語とはコミュニケーションのツールである。英語を身につけた後、それを使って何がしたいのか。それが明確に決まっているとモチベーションの維持にもつながる。

 

そこで英語をコミュニケーションのツールとして使えるようになるために、

 

  • 自分が現在いる位置を正しく理解しよう。目標が現実とあまりにもかけ離れていると、そこに達するためのエネルギーを保つことは非常に困難である。
  • 目標を変えよう。be動詞の現在形だけはミスなく完璧に使えるようになる等。

 

確かに最終目標はネイティブと同等に話すことでもいいかもしれないが、そこにたどり着くためにはまず実現可能な小さな目標が必要である。

 

また、英語を話す機会がないといっている人は甘えである。英語なんてどこでも話すことができる。コミュニケーションをしたいというのなら話は別だが(一人で行うことも不可能ではない)、まずろくに話せない状態でネイティブと話そうなんて子供がウルトラマンになりたいと言う事と同じようなものである。そういったコミュニケーションはリスニングの勉強にはなるかもしれないがスピーキングの練習として得られるものは少ない。それよりかは、家で同じ文章を100回でも200回でも繰り返している方が有意義だ。もちろんそれは根気のいるつまらない学習方法かもしれない。しかし勉強とは本来そういうものである。目標の達成は努力の積み重ねによってしか実らないものであると私は思う。

 

さて、なぜ英語が喋れないのか。それは頭の中に英語のストックがないからである。文法を知っているだけでは喋れない。文章が日本語を介さずに反射のように出てくるようにならないと自在に使いこなすことは難しい。"I know." や "I'm a student."といった文章を話すのに日本語は介在しないはずである。そういった反射のストックを貯めていくと、同じ文法や用法を使う文章も作れるようになる。文法や用法に時間を取られることがなくなり、より話す内容に目を向けることができる。時制や三人称などに多くの時間を取られているうちはペラペラ喋るなんて夢のまた夢である。

 

日本の英語教育の未発達さを嘆くのもいいが、それを嘆いても子供時代には戻れない。まずは自分の英語のできなさをしっかりと認めた上で、自分がやり遂げれそうなことからコツコツやっていく方が得策と思われる。

 

以上つらつらと書いてきたが、これはいわば、自分への戒めである。明らかにインプットが足りないにも関わらずアウトプットする機会を求めてはいるものの、理想が高過ぎるあまり現実とのギャップから無駄に自己嫌悪に陥っていた自分への。

 

自分を客観的に見ることが重要だということは最近人から言われて気づいたことだが、全くもってその通りである。自分自身では他人のことをよく見ているし、自分のことも正しく分析できていると思っていたが、それはただの思い込みであったと人から指摘されて初めて気づいた。この人は頭の良い人で、付き合うようになってから色々と気づかされることがある。良いところも悪いところも率直に言ってくれる、尊敬できる人である。